~排便都市の綺麗な東京~
あーーー、、、、、疲れたーーーー、、、、、、。
足はヒリヒリするし、脹脛の筋肉がギューっと引っ張られてる感じてゆうのかな。
まあ、田舎者の俺がノコノコ東京の大学巡りをしたからってのがその理由だけど。
東京の大学つっても、さすがに全大学制覇した訳じゃない。
もちろん、内容的にはそっちの方がいいけどさ...。
だいたい御茶ノ水、本郷周辺をウロチョロした感じ。
東大とか医科歯科とか順天堂、日大、明治あたりかな。とりあえず、記憶に残っているのは。キャンパス内に入りたかったけど、時期もあって東大ぐらいしかろくに中入れなかった。だからか、東大は建物自体は伝統的というか古臭い感じでそれも味はあるんだけど、なんだろう。最高学府を謳う割にそこまで建築物が高くないていえばいいのかなあ。うーん。土地の面積が広い分、高層ビル的に設計する必要がなかったか、建設当時の技術的問題か真相は知らんけど、そこまで興奮しなかったな。
他大学だと、これはこれはと言わんばかりに聳え立ってて、近くから見上げると眩暈して気持ちいい。あと、遠くからでも印象強いし。
そういや、タイトルは排便都市の美しい東京だったか。タイトル回収忘れですね。
東京はある種美しくはあるんだけど、まあゴミが多いし、ホームレスもいる。そういった汚さもある。でも、面白いと感じるのは何も綺麗と汚いみたいな相反するものがスパッと右左で別れてないところ。大通りしか通らなかったら、そりゃ綺麗なものしか見えてこないけど、少しでも細道に行くとか、標識の裏みたいなところに悪戯なアートがあって、これが隠れミッキー的で発見すると気持ちいい。本家隠れミッキーは、結局設計された中に小さく配置された記号だけど、こっちでは大学や大手企業ビルの真面目が堂々とある中、少し目を逸らすと、悪戯なアートが見え隠れしてる。足をセカセカ、常にソワソワしたサラリーマンをよそに、橋の下で昼間から寝てるホームレス。この対比この対比こそが東京!!
大学巡りに飽きたため、南千住へ。山谷というドヤ街が目当てでだ。
ドヤ街と聞いて何それと聞き返す人は多いかもしれない。ドヤを反対から読めばその意味が分かる。そう、ヤド。つまりドヤ街とは、安い宿泊施設の多い町を指す。
ネットで山谷と調べれると、治安の悪さとか危ないみたいな内容が書いてあるけど、行ってみたらそこまでってくらい。
カラーテレビがついてることを売りにしてる宿泊施設なんて今時そうそうお目にかかれない。公園では、ホームレスの溜まり場になっている。立て看板で注意が書かれてあるけど当然無視。あと、将棋かなんかやって遊んでる人もいれば、バイク?でぐるぐる回ってる人もいる。体を震わせながらなんとか歩いてる大変そうな人とホームレスの中にも、コミニティカブな人もいれば孤立してる人もいる。健康な人もいれば、見るからに足の悪い人もいた。ホームレスはホームレスでグラデーションがあるんだなあ。
終わり
なろうなろう。インフルエンサー(17)
今どきブログなどと思いながら、時代錯誤なブログを荒波立ったネットの海へ投じる。
当たり前について書く。
ブログで10000pvを稼ぐことと、youtubeで10000回再生数こと。どちらが難しいかは明白で、そりゃ前者のほうである。
はたまた、shorts並びにtiktokのように秒単位のひと口サイズを現代人は大量消費するのだから、文字などどこの胃袋に入るのか。
知らん。
けれど、小説家になろうのように遊び盛りなティーンも静かにスマホを睨むこともあるという。
そういえば、ちょろっとTVでそんな内容が流れていたのを思い出した。ただ、それは読むことではなく、書くことだった。ナウロッパ?だったか正確な単語は覚えていないが、なろう系に頻出するヨーロッパ的舞台があるとのこと。少し細かく言えば、あくまでヨーロッパ的であることが強調されていて、日本人の10代が失望しない夢のあるヨーロッパ的風土であるから、外国人が日本人はニンジャといってるようなもん。
とやかく、もしかしたら、読むことは書くことを前提にしているといっていいのかもしれない。
ナーロッパだかナッパだかも、あるいはRPG的設定文句を散りばめたあの長ったらしいタイトルも、もしかしたら彼らにとって便利なツール以上の理由は見当たらないのかもしれない。
あー、とりま自己表現として、取っ付きやすいのがブログ的メディアと結論。
だけど、それはTikTokとさして変わらない。
TikTokでは音楽やダンスがツールだから。
音楽にノるか擬似ヨーロッパで無双するか。
その2枚のカードを終盤のババ抜きかのよう迫ったカウンター机の上で。相席の聡明なティーンはニヒルに笑みを浮かべ、僕はそれを合図に筆を置き、外へ出た。
終
祝・HIKAKIN活動10周年!未来のHIKAKINはどうなる?/2000年後の君へ/HIKAKIN考察
少し前HIKAKINがYouTuber10周年を迎えた。
私もYouTubeで「現実と虚構」シリーズという名のゴミ動画を上げている。
https://m.youtube.com/playlist?list=PLfp-KsRCzmy-3zqEpGEBBM-z717Ku0zwh
一応コンセプトとしては、ネタの思い付きから撮影、編集までの一連のプロセスを5分以内で終わらせるものだ。
そう、手抜きである。
そして、努力に対して結果が実ってるため、再生回数は1桁。
ドジョウみたいに、哀れにYouTubeの底という底を這いずり回っている。
こんな私の立場だから当たり前だが、主観的に言ってYouTubeに動画なんて上げても基本虚しいだけ。
ある意味どこまでいっても自己満の世界。
そんな世界で、子供相手に駄菓子やらおもちゃレビューして、コロナへ偽善的にボランティアしたんだからHIKAKINは狂人だ。
この苦行を10年間もやれたHIKAKINはスゴイ。
活動継続期間のみをみればスゴイ。
しかし、それ以外を除けば、音の鳴る操り人形。
おそらく、HIKAKINの視聴者層は、YouTube見たての小学生。
彼の偽善的パフォーマンスは、小学生にとってはむしろ安心感を与えるだろう。
しかし、相手は金のない小学生だから、そいつらを顧客に広告打ってもあんま金にならない。
よって、動画による広告収入のみならず、関連商品の売り出しによる小学生の親の財布を緩めさせて儲けるルートを考えたい。(仮面ライダー的ルート)
だが、HIKAKINの場合仮面ライダーでもなんとかレンジャーの赤でも青でもない。
ただのボイパの上手いYouTuber。
つまり、関連商品で展開できるレパートリーが結構少ないように思える。
では、今後HIKAKINはオワコン化するのか?
すぐそうなることは考えにくい。
しかし、安心してぬるま湯に浸かっていたら終わる。
視聴者は、基本ロリとショタだがHIKAKINも10周年だ。
仮に7歳が見てたとして、10年も立てば17歳。
17歳がHIKAKINなんかを視聴するだろうか?
多分、Pornhub見てるっしょ
ということで、これからのHIKAKINの生涯を図々しく考察したいと思う。
勿論、赤の他人の人生だ。
私の発言の信憑性は薄い。
予防線は貼ったので、早速エセ考察します。
といっても、そんないくつもの可能世界のHIKAKINをシュミレートする程暇ではありません。
まぁ。時間はありますが、、、
まず、冒頭フライングで投げた仮面ライダールート。
でも、これ無理。
次、個人的に最有力候補は、現にHIKAKINがやってるであろう天皇を目指す路線。
つまり、YouTuberの親分として汚い大人達(ヒカルとか)に対するアンチテーゼとして聖人ぶるルート。
よって、この道を選んだHIKAKINは行く末動画も上げずに、ただ天皇として、象徴としてのみ存在すればよい。
もし、他のYouTuberが未成年との性行為でやらかしたら、HIKAKINはそれに反応するように募金したり手を洗おうて言ったりしてりゃ、勝手に外野が騒ぎ立てて、やっぱりHIKAKINはロリコンなんかじゃないんだ!と自身の株が上がる。
また、天皇の椅子(ポジション)は一つあればよい。
ライバルがいないこともまたよい。
これが私から見た可能世界における有力候補だ。
次が、ポケモン戦略。いわば、オリジナル版とリメイク版の焼き直しを交互に行うアレである。
この戦略の長所は、ズバリ小学生がYouTube童貞をHIKAKINで卒業する→ちょっとハマる→飽きる→もっと過激な内容を探す→もっともっと過激な内容を探す→もっともっともっと過激な内容を探す→無限ループ→宇宙消滅
バアアアアアアアアアーーーーーーーーンンンン!!!!
え?
私、もういないの?
そっか、消えちゃったんだね。
私達の宇宙。
ねぇ、知ってる...?
いや、豆柴の話出し方は真似てないって
人が最後に残ってる感覚って音らしいよ。(youtubeのランキング動画みたいなやつで知った。合ってるかは死んだ人に聞かなきゃ確かめれない)
そう、音。
もう、君がこの世界に居なくなっちゃうその間際私の声だけは最後まで君の心に残るんだよ?
うん。
でも、これがホントに最後の言葉...
「HIKAKINのポケモン戦略の長所は、小学生どもがある程度年を取っても、マイナーチェンジしてノスタルジー的に売り出せること。しかし、ポケモンの場合はゲーム。ある程度形のあるコンテンツだから、HIKAKINは断片的なゴミ...じゃなくて動画を出してる限りこの戦略を応用することは難しい。よって、関連商品を売り出す必要がある。って、この下りは最初の方でやった。仮面ライダー路線は無理ゲー。商品化してグロい人形とか出てきたらどうする?もしも、親がピカチュウじゃなくてヒカキンのぬいぐるみがロリやショタの枕元にクリスマスプレゼントに置いてあったら。いや、泣くよ。悪夢よそんなの。もう一回多分寝て、クリスマスリセマラするレベル。でも、現実はゲームなんかじゃない。ゲームオーバーしたらそれっきり。そう、この宇宙もその例外じゃない。いつかは終わるの。HIKAKINなんて私なんて君なんて宇宙なんて全部全部。だけど、、、、、、、、、、、、、
最期は笑って終わりたいよ...」
くだらな
ー働き方は「自分」で決める(古市憲寿)ー書評かあるいはただの要約か?
・前置き
ー働き方は「自分」で決める(古市憲寿)ー
この本はイントロと本文の全六章、補章の構成になっていますが、
本記事では主に第四章と第五章の内容を中心に述べます。
第四章から~エリート起業家系中心に~
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは人間の財産を三つに分けれると考えました。
一つ目が、カネ。(ベタですね)
二つ目が、信頼や人脈。(いわゆるコネ)
三つ目が、教養や信頼された習慣。(その人の持っている能力)
本記事では少し真面目と高らかに宣言しましたので、少し難しく友達に鼻高で言える言葉に直すと
一つ目が、経済資本。
二つ目が、社会関係資本。
三つ目が、文化資本に相当します。
資本といえばお金を思い起こすのが普通かと思いますが、ここでは文化的なものも含めているので少し新しいと感じる人もいるかもしれません。
しかし、社会の階層を区切るものとして文化が機能していると考えれば、想像することは難しくないですね。
第四章では、社会関係資本が起業(ビジネス)において重要な働きを持っていると主張します。改めて書くと、そんなの当たり前だと思うかもしれません。現に書いてる私自身がそう思っているわけですが、実は安易な自己啓発本よりも本書の方が遥かに役立つ大きな理由の一つなんです。
具体的に言います。
スティーブジョブズは有名なタートルネックとジーパンの愛好家の一人ですが、彼の功績はなんといってもiphoneを世に普及させたことは改めて語る必要もありません。
しかし、アップルを大企業にしたのは年齢が13個上のマイク・マークラの影響が大きいといわています。これは、日本の企業にも当てはまりますね。
よって、コネといってもただ仲の良い同世代友達のツテだけでなく、年長者との繋がりは若者にとって能力の補完的にも必要だと言えそうです。
ここで、コネ(社会関係資本)について軽い分類を行います。
社会関係資本は、ブリッジ型とボンド型の二つに分けることができ、ブリッジ型とは異質なもの同士の繋がりを指します。
先ほどのスティーブジョブズとかの話はブリッジ型の社会関係資本になります。
ボンド型は同質なもの同士の繋がりで、同世代の友達とかですかね。
なにも、ブリッジ型の方が悪いとか、ボンド型の方が偉いなんてのはありませんが、この二つはどちらも必要です。
しかし、ボンド型は定義上異質な者同士の繋がりですから、「仲良くなること自体が難しいのではないのか?」そう疑問に思えてきます。
じゃあ、どう繋がるかというと共通する文化体験やその人の持っている価値観で繋がります。
例えば開成学園(名門中高一貫校)では、企業の取締役以上でないと入れない起業家グループなるものがあるらしく、開成OBは「愛校心」で繋がります。特に、生徒主体で行う運動会で年代気にせず盛り上がるらしいです。
へぇ~。
~第四章、第五章の適当総括~
1.もしかして完璧人間?
先の章では、エリート起業家を中心に扱い時折社会学のエッセンスを挟んで展開しました。
ブルデューの三つの資産の分類がありましたよね。
この資産の分類って各々が独立にあるのではなくて、他の資産とある程度関係があると思うんです。
さっき、開成OBの話が出ましたね。
なるほど、彼らは中高の繋がりから異なる分野の取締役とコネを作っている訳ですが、そもそも開成学園に入るだけの学力が必要です。
その学力はどのように養われるのかというと、親の教育への投資(親の経済資本の充実)と本人の才能や努力(文化資本)によって決まりますね。
経済資本と文化資本はリンクし、さらに開成OBの優秀な者同士で繋がります(社会関係資本の充足化)。
よって、すべてのパラメータを満たされると・・・。
こんな話聞いても、自分には遠い事のように思えて臨場感が沸かないなぁ。
2.正社員からフリーランスへ?
1のところで、才能持っていて実家にも恵まれているとウハウハといいました。
だけど、「私や僕はそんなんじゃない」と多くの人が言うでしょう。
でも、同時に「○○になりたい」と夢を語る。
この○○には何が入るのでしょうか。
小学生の意識調査ランキングを4類型の図に当てはめてみましょう。
すると、非資格型専門職が人気を獲得していることがわかります。
男の子で言えばプログラマーやyoutuber、女の子は芸能人に漫画家などはまさに非資格型専門職に該当し、小学生に限らず多くの若者にとって憧れの対象になっています。
まあ、昔から芸能界とかに憧れる人は多くいると捉えることもできますが、時代の波に対応しているところもあると思います。
かつてのいい高校からいい大学、いい会社という夢や終身雇用雇用などのシステムが機能不全に陥りベタにそのシステムに乗っかろうとしている若者は少なくなっていそうです。
それよりも自分のスキルアップのために会社に入り、いずれ転職や独立を考えているそんな人が多いでしょう。
大企業でしか役立たない固定的なスキルよりも、どこでも役立つスキルへと多くの人が直観的にきずいているわけです。
けれど、学歴の価値が廃れたわけじゃないし、この非資格型専門職のルートってのはフリーターとどこが違うかと問われたらあなたの持っている能力をほかの人が買いたいかどうかという線引きです。
それは能力主義のふるいに常にかけられるのだから、ある意味受験紛争よりも過酷な競争をすることでもあるわけですね。
はい。
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もう本はいらないのか?{本要約、(教養系)チャンネルの可能性と限界}
1.いいところ
金かからない(本買わないから)
動画だから、入ってくる情報量が本より多い
2.わるいところ
紹介される本が限られる(ビジネス系、文系など内容に偏りあり)
投稿者の能力的に要約できるレベルの限度がある
金を払わないから強制力が弱い
あたりまえだけど、8分で本の中身すべてを要約することはできない
どの情報が選ばれ、どの情報が捨てられるのか
それは動画投稿者の基準や能力に委ねられている
もちろん、読みたい本に対するサプリメントとしての役割は期待できると思うし、内容が自分の理解に追いつかなかったら要約chなりなんりでネットの海を泳ぎ回ることも一つの手だろう。
全てを否定するつもりはない。。。
けれど、こういう類の(教養系ちゃんねる)は金になるのか知らないが、視聴者に対して「意識が高いよ君たちは」と褒め、要約ちゃんねるを見ること自体を称える。
彼らは、ビジネスでyoutubeをやっているからリップサービスして視聴者囲って再生数といいねをもらう。
自戒を込めて言うけど動画を見ているだけで報われるほど人生楽じゃない。
これは、ひろゆきや岡田斗司夫とかにも該当するけれどもさ...